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このページではネパールのいろいろなこと(場所や人々、食べ物のこと、お店のこと、政治のことや経済の状況など何でも)を更新して紹介していきます。 このページにより、より多くの人がネパールのことを知り、興味を持っていただけると光栄です。 またネパールにいったことのある人や在住の方、コメントや情報(もちろん批判も)どしどしお待ちしております。
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遥か遠方に臨むサガルマータ |
このコーナーでも再三お伝えしている通りネパールの大切な外貨収入といえば観光産業です。 ネパールが世界に誇る…そう、世界一高い山エヴェレストはここネパールにあるのです。 広大なヒマラヤ山脈を有するネパールには本格的な登山家から山歩き程度のトレッカーまで、たくさんの人々がエヴェレストの元に集います。 このエヴェレストの玄関口ともいえるネパールですが近年は毛沢東主義者の台頭や現ギャネンドラ国王の政治クーデターなどが続き、治安は悪化の一途を辿っていました。 しかし先ごろの国王の政治撤退により民主主義が急激に回復し、毛沢東主義者とも停戦合意がなされつつあります。 一連の和平に向かう動きにより今年ののトレッキングシーズン(10月−11月)はまたネパールに活気が戻ってくること必須! その前に少し面白いエヴェレストにまつわる「謎」はいかがでしょう。 エヴェレストに挑む さて、以前のああ栄光のシェルパ族で特集したとおり人類初のエヴェレスト登頂はいわずと知れたエドモンドヒラリーとされています。1921年のイギリス遠征隊以来征服されなかった山がついに人類の手に落ちた瞬間…それが1953年の出来事でした。 ネパール語でサガルマータ(世界の頂)を意味するエヴェレストとはどんなところなのでしょうか? エヴェレストの氷には今も志半ばで力尽きた冒険家達の遺体が眠っています。 雪崩、滑落、希薄な酸素…気温はマイナス50度にも達し、平均風速40m。 この過酷な環境を当時装備もままならないヒラリーはどのような思いで「初登頂」を果たしたのでしょうか? |
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その名はマロリー ヒラリーの偉業だけでも驚きですが、実はここにひとつの謎があります。 「初登頂」は誰だったのか? ヒラリー以前に登頂に成功したかも知れない伝説の男、その名はジョージマロリー。 初の登頂を目指す 世界にまだ未開の地があった20世紀初頭…地球上を先駆けて踏破してきたイギリスにとってエヴェレストの頂上は制さなければならない地上の「点」でした。 ジョージマロリーは1921年にイギリスの第一次サガルマータ遠征隊に召集され、頂上への登頂ルート詮索という任務を任された。 翌年22年には初の登頂を試みる第二次遠征隊にも召集される。 しかしこの二次遠征は不慮の雪崩に遭い、遠征隊のうち7人が死亡するという事故で幕を閉じた。 そして第三次遠征。 1924年、イギリス隊は3度目のエヴェレストに挑むことになりました。 やはり世界の頂であるヴェレストは登頂するに容易ではなく、この第三次遠征のときも悪天候や高山病などに悩まされ、幾度かの登頂アタックの機会を逃す事となった。 この一帯が雨季に入る間近である同年6月8日、マロリーは最後のチャンスに託し、これまであまり使わなかった酸素ボンベを携帯してのアタックに出るのである。 同行したのは若手で健脚のアーヴィン。 2人が第6ベースキャンプより順調に頂上を目指した。 日が落ちる前には吉報とともに再びベースキャンプへ戻ってくるだろう。 誰もがそう思い、そう願った。 時は流れ1953年、エドモンドヒラリーとシェルパのノルゲイ・テンジンによるエヴェレスト初登頂のニュースは世界中に知れ渡ることとなる。 マロリーとアーヴィンが消息を絶って実に29年後のlことである。 |
99年に北稜で発見されたマロリー
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生前のマロリーと愛妻ルース |
時を越えたマロリー それでは何故マロリーが初登頂したかもしれない、という謎が残るのでしょう。 実はサガルマータ北稜に古い遺体があるとの噂を受け後にマロリー・アーヴィン捜索隊が結成され、1999年に調査をしたところマロリーの遺体が発見されたのです。 このニュースは世界を驚かせました。 1999年当初の雑誌の記事を筆者も覚えています。 エヴェレストには遭難後に遺体が発見されることは珍しくありません。 あまりに気温が低いため、凍ったまま保存される状態になるからです。 気象の変化等で雪がなくなるとこのように昔の遺体が出てくるのです。 マロリーの遺体の一部はDNA鑑定に回され、それがマロリーであることが証明されました。 彼の遺体からは手袋やナイフに至るまで様々なものが回収されました。しかしエヴェレスト登頂の証拠となりうるものは残っておらず、発見が期待されていたカメラもありませんでした。 登頂成功の噂? 1999年以降、マロリーの遺体発見とともに持ち上がったひとつの噂話。 近年テレビ等で特集を組まれるケースもあるようなのでご覧になったかたもいるでしょう。 彼の遺留品の中にもうひとつ発見されなかったものがあります。 それは「愛する妻の写真」でした。 マロリーはエヴェレスト登頂に向かう前、長年夫と夫の夢を支えてきた妻にこう言い残しました「キミと一緒に頂上の景色をみるよ」 もしかしたら頂上で彼女の写真を置いてきたのかもしれない、そんな噂が流れたのです。 遺体は頂上を向いて仰向けに倒れていたそうです。 恐らく最後の最後まで頂上を目指した、という人もいますが、事実は果たしてどうだったのでしょうか。 生前ある講演会で「何故エヴェレストに登るのか」という質問にマロリーはこう答えました「そこにそれ(山)があるからさ。」 いまだに登山家たちの伝説であるマロリー、彼の登頂は永遠に語り継がれることでしょう。 |
一部写真を頂きました http://www.pbs.org/wgbh/nova/everest/lost/mystery/mallory.html
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